八木彬夫です。
「The Beatles 音源徹底分析 上・下」のサンプルを紹介します。


上巻 P.59~P.64  彼らのハーモニーの秘密

彼らのハーモニーの秘密
この本ではビートルズのコーラス・ワークについていろいろ書いています。
私は子供の頃に合唱団の経験があり、幸いにもきちんとした発声のトレーニン
グを受けることが出来ました。
しかし、ビートルズの経歴を調べると、彼らは普通教育課程を除いて専門的
な音楽的教育をほとんど受けていないのです。
歌唱は持って生まれた喉と骨格の要素が大きく影響するだけに尚のこときち
んとしたトレーニングが大切だと私は思うのですが、彼らときたら、そんなこ
とを飛び越えて聴く人の耳を離さなくなるような圧倒的な魅力に溢れているん
ですね。
ソロの歌唱とハーモニーを作り出す合唱では、根本的に歌い方が変わります。
ひとつは音を伸ばして歌うときのヴィブラートの使い方です。ヴィブラートと
は簡単に言えば音を揺らすテクニックです。
文章で表現するのは難しいのですが、『アーーーー』と伸ばして歌うときと『ア
~~~~』のように揺らして歌うときの違いです。これは腹筋で支える呼吸を
一本調子で発声するか、強弱と音程に変化をつけて歌うかの違いということで
あり、テクニックである以上、その強弱や変化の度合いはコントロールできる
ものです。
もうひとつのテクニックはノンヴィブラートです。その名の通り歌う時にヴ
ィブラートのテクニックを用いずに発声する方法です。実はこの方法は、きち
んとしたヴォイス・トレーニングを受けなければ、なかなか身に付きません。
まず力強い腹筋による腹式呼吸の習得が必要です。この腹筋で支えた呼吸が
出来て初めて本当のノンヴィブラートの発声が可能になります。確かな音程で
歌える耳を備えた、いわゆる『音感』も必要であることは言うまでもありませ
ん。
ソロの歌唱ではこの2 つのテクニックを駆使して音を伸ばして聞かせたい、
いわゆる聞かせ所では曲調にあわせたヴィブラート・テクニックを、その他は
安定した音程をノンヴィブラートで…のように構成していきます。
しかし、ハーモニーとなると歌い方はノンヴィブラートが基本です。その理
由は、きれいにハモる為には『お互いの倍音を響かせなければならない』から
です。
同じ和音のハーモニーでも歌う人たちが変わるとハモの響きが変わって聞こ
えます。これはコピー・バンドの演奏で顕著です。つまり、『モデルのバンドの
同じ音のハーモニーを歌っているのに同じ響きにならない』現象です。
これは、歌い手それぞれの声に含まれる倍音が、モデルのハーモニーを歌う
人たちと異なることが原因です。
人間は一人ひとり顔の形(骨格)が違い、そのため声の音色を決定付ける倍
音成分のバランスが異なります。指紋と同じように一人ひとり声紋が異なるの
もこれがその理由です。そしてハーモニーは、この倍音同士のぶつかり合い(音
の干渉)によって響きが変わってきます。
合唱コンクールを聴きに行くと、このことがよくわかります。コンクールで
は、多くは『課題曲』と『自由曲』の組み合わせで歌われ、このときの課題曲
を聴き比べたときの違いが、綺麗なハーモニーかどうかの分かれ道となるわけ
です。
つまり綺麗なハーモニーの要素は複式呼吸による音程の良いノンヴィブラー
トの発声と、歌う人同士の倍音成分の相性ということになります。
ビートルズのハーモニーの組み合わせはジョンとポールのデュオ(2 部)、ジ
ョンとジョージのデュオ、ポールとジョージのデュオ、この3 人のトリオ(3 部)
など様々ですが、ハモっているときは多くはノンヴィブラートで歌っています。
彼らはハーモニーの基礎とコツをちゃんと知っているのです。
もうひとつ、ハーモニーの大事な要素があります。それはどのパートを誰が
歌うかという点です。これは声域の問題です。よく知られているようにポール
は男性にしては大変高い声域の持ち主です。ファルセットまで含めるとなんとG
の音まで力強く発声してしまいます。(“Band on the Run”の最後の音はE、なん
とルーベッツの“Sugar Baby Love”と同じ高さです)
ポールの高音は大変音程がよく、ノンヴィブラートの発声もしっかりしてい
ます。ビートルズのハーモニーで、高音パートはポールの独壇場です。
ジョンも、高い音が出ることは出るのですが、どうやら叫びと変わらないよ
うな、悪く言えばキチガイのような声になってしまうようです。ジョンの言葉
です。「最初の頃はホントどうしようかと思ったよ。ポールは女の子みたいな声
を出すし、僕はキチガイみたいだし…」
ジョンは、高音はポールに及びませんでしたが、逆に低音は腹に響く野太い
安定した音程で歌うことが出来ました。“P.S. I Love You”の低音コーラスや“I'm A
Loser”で明らかです。
ジョンとポールによる(必殺の)デュオでは、ご存知のように多くが上のパ
ートがポール、下がジョンという組み合わせです。
もう一人のヴォーカリスト、ジョージはと言えば、高い音はポールに及ばず、
下はジョンに及ばず、ちょうど2 人の真ん中の声域です。
実はこの人は百人に一人の大変貴重な声の持ち主です。ジョージはヴィブラ
ートが苦手でした。ジョンもポールもソロで歌うときはヴィブラート・テクニ
ックを駆使しています。しかしジョージはソロでもほとんどノンヴィブラート
で歌うのです。さらに音の強弱をつける、いわゆる声量のコントロールも苦手
のようです。
声域こそ特徴はありませんが、このノンヴィブラートの声こそ、ハーモニー
の柱として重要な役割を担うのです。そう、ジョージは大変音程の良い歌い手
です。さらに、ジョージは独特のかすれ声です。このことは、ジョージの声が
倍音成分の多い、ハーモニー・コーラスにおいて、一緒に歌っている人間の耳
に聞き採りやすい歌声であることを意味します。
この、
① ノンヴィブラートの発声
② 音程が良い
③ 倍音が多いかすれ声
④ 中音域の声域
⑤ 他者が聞き採り易い
という、悪く言えば没個性の歌声が、彼らがトリオで歌う3 部コーラスの柱に
なって行きます。
彼らの上がポール、真ん中がジョージ、下がジョンという組み合わせによる3
声ハーモニーの素晴らしさは、彼らの多くの曲で堪能できます。
ジョンとポールのハーモニーの響きはそれは素晴らしいものですが、真ん中
にジョージが割って入ると、まるで3 人をつなぐ接着剤のような役割を果たし
ます。
ジョンとポールのハーモニーの素晴らしさはいたるところで賞賛されていま
すが、3 部コーラスでジョージの果たす役割についてはあまり触れられていない
のは不思議でなりません。ジョージこそ百人に一人の歌声であり、彼がビート
ルズのハーモニーの柱なのです。
一人アカペラの達人である山下達郎氏が言っています。
『自分の声に重ねて作るハモに、あと一人効果的な倍音が入ればもっと良くな
るんだけど…』
彼の奥さんである竹内まりあ女史が、例えば「リンダ」という曲などで一緒
に多重録音をしていますが、山下達郎氏の求める響きにまでは至っていないよ
うです。
つまり氏が言う「あと一人」とは、ジョンとポール+ジョージのような一人と
いうことなのでしょう。
彼らのコーラス・ワークの秘密をもう一つ。先にコーラスを綺麗に響かせる
のはその人の声に含まれる倍音の成分とその出し方によると書きました。
ジョン・ポール・ジョージの顔の骨格に注目してみましょう。ピンときたあ
なた、そのとおり、ジョンとジョージの骨格は何となく似ていると思いません
か? 特に正面から見たときに、上顎から下顎までの線が似ています。
ジョンとジョージの2 人だけのハモを聴くことが出来るのが“You Really Got A
Hold On Me”です。よくハモっていますね。二人の声以外の響きが聞こえて来る
ようです。
でも、残念ながらジョンとポールのハモほどの魅力は感じられません。ここ
に彼らのハーモニーのもう一つの秘密が隠されています。それはポールの歌い
方です。
ポールの声は、高音は素晴らしい伸びです。ファルセットの伸びたるや、ジ
ョンの言うようにまるで女の子の音です。
一方で低音となると、初期では可哀想なくらい不安定でした。BBC 音源で歌
われている“The Honeymoon Song”などは、あーらら…なんて感じです。
この曲の音域、一般の男性にはそれほど低音ではありません。テナーならむ
しろ歌いやすい音といえます。ポールは、話し声は結構低音なのに不思議なん
ですよね。
というわけで、初期の頃、オリジナル以外でポールがレパートリーにするの
は、声域が似ているリトル・リチャードが多かったわけです。
ポールは他の2 人には出来ない特技があります。それは何と物まね。ポール
の物まねは父親のジムが絶賛したとおり、リトル・リチャードやエルヴィス・
プレスリーを歌わせたら絶品でした。知っておかなければならないのは、ジム
の絶賛は単なる親ばかではないということです。
ジムはアマチュアでしたが地元では立派なミュージシャンで、ポールの音楽
的素質を早くから見抜き、トランペットを買い与え、ギターが欲しいと言い出
したときはトランペットと交換に手に入れることを許しています。
ポールに子供のときからピアノを習わせようともしたようです。そのミュー
ジシャンが言うのですから、音楽的にもしっかりした物まねであったというこ
とでしょう。
(日本の物まね芸人が顔に強力な粘着テープを張って肉付きを移動させ、ネタ元
の歌手の顰蹙を買うことがあります。しかしながら私は、あれは本人は下品な
受け狙いではなく、大真面目でやっているのではないかと考えるのです。つま
り、骨格を変えられないなら、顔かたちを無理やりにでも似せて筋肉の動きを
制限し、少しでもネタ元の歌手に動きを近づけようとする苦肉の策ではないか
と思うのです。その点ポールにはテープなどの道具は必要ありませんでした。)
ポールの物まねの技術は“Luciell”や“Long Tall Sally”だけで披露されたのでは
ありません。実は自作曲のソロ以外のほとんどの曲で彼はこの技術を駆使して
います。
具体的にいうと、ジョンと一緒に歌うときは、ジョンに似せて歌い、ジョー
ジと一緒に歌うときはジョージの声に似せて歌っています。驚くことに曲数は
少ないのですがリンゴの物まねをしている曲もあります。
ジョンとのコンビの例を挙げましょう。ハーモニーで最も難しいといわれる
ユニゾン・ハモは、特に初期の彼らの専売特許でした。ユニゾンというのは、
同じ高さの音を一緒に出すことを言います。同じ音でなくとも、たとえばドの
音のオクターヴ離れたハモもユニゾンと扱います。
もっともよくわかるのが初期の曲、“I'll Get You”です。ジョンは「(忙しいツ
アーの合間に)大急ぎで作った愚かな曲」なんて言っていますが、この曲のポ
ールはかなりのツワモノです。
イントロの“Oh! Yeah”からオクターヴのユニゾンですが、ぴったりのピッチで
見事にハモっていますね。それも聞き逃すとオクターヴすらわからないことも
あります。これはピッチの正確さとポールの声音の技術によるマジックです。
“She Loves You”を見てみましょう。テーマの最初はジョンとポールのユニゾン
で歌っていますが、2 人の声は実によく似ています。“You think you lost your love
~”の“love”に至って初めて別の音でハモが始まります。“love”というこの曲の大
切な単語を見事に表現しているじゃありませんか。
『君は彼女に振られたと思っているみたいだけど、昨日彼女にあったら彼女
は君を愛していると言っていたぜ。~分っているだろう? 悪く考えちゃだめ
だ。~彼女に謝っちまえよ…』と友達を励ますこの曲。
最も強調したい“love”という部分に来たときに初めて2 人の声が分れ、しょぼ
くれている友を励ますようにジョンとポールが包み込むヴォーカル。実によく
出来ていると同時に、ポールのマジックによって、突然ヴォーカリストが2 人
登場するかのようなハモになっています。
余談ですが、当時のエンジニアだったノーマン・スミスはこの曲に始めて接
したときのことを振り返り
『まだ曲の演奏を聴いてなかったとき、譜面台には紙に書かれた歌詞だけが置
かれていた。中身を見ると、
"She Loves You Yeah! Yeah! Yeah!
She Loves You Yeah! Yeah! Yeah!
She Loves You Yeah! Yeah! Yeah! Yeah-----!"
なんだこれは? 次の曲は望み薄だな…と感じた』
と述懐しています。確かに歌詞だけ見ると陳腐ですね。
ポールのもう一人の相方、ジョージとハモる時、ポールはジョージの声に似
せて歌っています。ジョンの渾身のヴォーカル、“Twist & Shout”。この曲のバッ
ク・コーラスはもちろんポールとジョージですが、この二人の声もよく似てい
ます。
骨格が似ていると感じさせるジョンとジョージのハモを超えて、ジョンとポ
ールの響き、ポールとジョージの響きがこれほど素晴らしく感じられるのは、
ポールの物まねの技術によるものと思われます。
ポールの物まね番外編はリンゴの物まねです。アルバム“Magical Mystery Tour”
に収録された“Flying”はメンバー4 人が一緒にコーラスをしていますが、リンゴ
の声は他の3 人とは異質で、そのことでもっとも目立つ声として浮き上がって
聞こえてきます。
リンゴの声域はとても低く、低音はジョンと変わらない声域のようです。し
かし、歌唱力や魅力的な歌声は他の3 人には及びません。リンゴの唄はほのぼ
のとした魅力がありますが、要はコーラスでは他の3 人とは相容れない異質な
声なのです。
この曲ではポールがこの異質なリンゴの声を真似して歌っています。この曲
のハーモニーをよく聴いてみてください。メロよりもひとつ高い音でリンゴに
良く似た声が聞こえてきます。ポールによるリンゴの物まねです。
もう1 曲、ポールがリンゴの歌い方をまねてハモっている曲があります。そ
れはアルバム“Help!”に収録されているリンゴのヴォーカル曲、“Act Naturally”で
す。
この曲では、もろにリンゴの歌い方の真似をしています。ハモで声音を真似
るなんて、器用な人です。
先に述べたように、ジョン、ポール、ジョージは元々アカの他人で、ジョン
とジョージは骨格が似ているような気もしますが、決定的にハモれるほどは似
通っていません。
ここにポールという物まね名人が参入することで、まるで一続きの声の幅が
あるモンスターとも言えるコーラスが出来上がっています。
しかも、百人に一人いるかいないかのジョージの声。彼らのハーモニーを聞
くことが出来た私たちは、本当は彼らの骨格と喉を世に送り出した、彼らの両
親6 人に感謝しないといけないのかも知れませんね。